【2年目の王祇祭レポート】~後編(完結)
【2年目の王祇祭】~後編
前半はこちら↓
https://kushibiki-kanko.sakura.ne.jp/wp/archives/815
夜通しの能の奉能を見おわり、当屋を出てまだ暗い中、王祇会館までてくてく歩いて帰りました。
王祇会館についたのは、5時15分くらい。黒川能保存会を通しての参加の方々の休憩所になっています。ホールは寝たり休んでいる人も多い中、受付周辺にいた方々は起きていて、お話したりしている人が結構いました。
今はゆっくりした時間が流れているのですが、もう少ししたら2日目が動き出すのです。
去年は、当屋での演能が終わった後、カメラの充電に戻り、仮眠を取り、朝ご飯を食べて…としていましたが、その間もいろいろな行事が続いていたのです。今年は仮眠も朝ご飯も取らずに、そちらを観に行くことにしていました。
それは・・・【七度半の使い】です。
春日神社を降りて行って、すぐのところに畑みたいなところがあり(*遊の庭)、その奥にあるお屋敷が榊屋敷と呼ばれる、遠藤重左衛門家です。
ここは神職のお宅で、毎年【七度半の使い】が行われるのだそう。
下座の皆さんが夜通しの演能の後、ここ榊屋敷に来て、上座が一緒に宮のぼりをするために、使いを出すというもの。
昨晩、下座から『暁の使い』が上座に行ったので、
今朝は上座から『七度半の使い』が下座に来るのだそうです。
なかなか見ることのないものだと思うので、この機会に紹介したいと思います。
——
上座・下座とも夜通しの能の奉能のあと、当屋の片づけ、朝ご飯を食べてから、王祇様を担いで春日神社に向かうのですが、その途中、榊屋敷に立ち寄ります。
6:50AM
下座の方々は、榊屋敷に到着、奥の座敷に王祇様を安置し、遠藤家にご挨拶します。
「遠藤重左右衛門様、おめでとうございます」
はい。これは新年のご挨拶です。
・・・実は私、恥ずかしながら、つい最近までこの王祇祭が新年の行事なのだという事に気づいていませんでした…。
毎年2月1日・2日は、旧暦の新年にあたります。なるほどだから餅とか飾るのか~と。王祇祭は新年を祝う行事なのです。
それから王祇様を安置した座敷に移り、神事が始まります。
王祇様をひらいて、大地踏。この時は扇をもって大地を踏みしめる部分だけをするようでした。
この時の大地踏の子は、春日神社で舞う下座の子でした。一日に2回も出番があるんですね。
大地踏が終わると、お酒などが出てきて盃を交わす時間になりました。お酒のみならず、お漬物なども出てくるのですが、そこに小皿とかはなく、手で受け取って食べるようでした。なんだか不思議な光景。
神事とはいえ、ずっと静かな緊張に包まれているわけではなく、合間合間は下座の皆さんが和気あいあいとお話しているのでした。一般の私たちは中に混ざることはないのですが、間近で拝見させていただいているので、その様子が村の寄り合い的なのんびりしたものに見えました。
しばらくすると、皆さんが居住まいを正し始めました。上座の使者が来たようです。
上座の使者は、まずは座敷に上がってきて王祇様に拝礼し、それから、下座の皆さまに挨拶の口上を述べます。
内容は、昨晩の「暁の使い」に対するお礼と、今日の大切な神事に、時間になったので行きましょう。というお誘い。
そのあと、盃を交わし、ほどなくして使者は榊屋敷を出ます。
ちなみに、上座の使いの人たちは、榊屋敷の前にある、「遊の庭」にいて、そこから使者を出しているのです。
下座の人たちが出てこないので、上座の使者は、また榊屋敷に足を運びます。今度は屋敷にあがらず、玄関先での口上を述べます。
上座の使者「ものーもーす」
下座の人「どうれ」
上座の使者「時分ようございまーす。おはようお上りなされ、ませいと申し越しまーす」
・・・これを6回繰り返します。そして最後には、
「おはようお上りっ」 と全部言わず言い捨てて終わります。
これが、「七度半の使い」と言われる所以だそうです。
私はこの一連の流れを見て、裃を着て言葉も昔の口調の人たちが玄関先でやり取りをするのが、なんとも不思議な感じに思えました。
さて、これから下座と上座の御一行が合流し、王祇様を担いで一緒に春日神社に上るのですが、上りきる直前に「朝尋常」が行われます。
神社の階段を上がっていくと、神社前の参道の周りにはもうすでにたくさんの人が。両脇にはロープが張られていて、ロープより内側には氏子の上座下座の若い衆、外側には私たちみたいな一般の見物人たちがいて、いつ始まるのかなーと待っています。
去年と違うことが大きく一つ…。それは雪がないこと。
この冬は何十年ぶりにみる、雪のない年で、いつもは雪を踏み固めている参道も、雪が全くない状態でした。もちろん、雪はなくてもかなり冷え込むことは確かなんですが。
さて、例年と違う「朝尋常」ですが、これは神社に帰ってくる王祇様を、上座・下座の若い衆が早く社殿に戻そうと競うものです。
“尋常”とは、競争の事で、王祇祭では上座・下座で競争するそうです。
この日はこれから何回も、尋常事が続きます。
人も多いようですし、今回は内部から朝尋常を見るつもりで、春日神社の受付を済ませ、中に入りました。
そして、間もなく外のザワッと大きな音が聞こえてきて…
あっという間に、王祇様が神社内に運ばれて、王祇柱という柱に立てかけられました。あれ?どっちが早かったの?
合図とともに、王祇様を抱えて参道を走り、王祇様を神社の両端にある小窓に入れて、社殿内の王祇柱に先に立てかけることができたら勝ち。
でも…早くてどっちかわからなかったうえに、両座とも盛り上がっているからどっちが勝ったのかいまいちわからなかったです。
朝尋常が終わって、だんだん拝殿に人がたくさん入ってきて、場所もどうにか取れました。私のような一般の参加者は能舞台の真正面の拝殿で見ることになります。
春日神社の拝殿には能舞台があり、舞台の上には、能役者の肖像画がずらり。いつも思いますが、とても歴史の重みを感じます。
舞台正面向かって左手が上座で、右手が下座のエリアです。能舞台の両脇は両座の氏子の皆様等が入る場所みたいです。先ほどの王祇様も舞台奥の柱に立てかけられていて、その横には両座の当屋頭人が座っています。
能舞台の周りには裃姿の人達が座っています。一人一人の前には提灯が置かれてあります。
彼らはめぐりの長人衆(おとなじゅう)と呼ばれていて、いずれ当屋をつとめることになる人たちだそうで、我が家に王祇様を迎える日が来るまで先輩の晴れの舞台を見守るのだそうです。
先ほども書きましたが、王祇祭は新年のお祭りですが、当屋頭人の一生に一度の長寿のお祝いでもあるのです。当屋頭人は翌年には長老になり、次の年長者が当屋にあたる。何年先までも決まっているそうです。
そして神事が始まり、次に上座・下座が昨晩当屋で奉納した脇能を披露します。
その後、両座立会いのもと、大地踏が始まりました。
上座・下座交互に舞います。上座下座で、舞や詞章の違いもありますが。大きく違うのは、身に着けている装束が違います。
上座は男装。下座は女装となっているようです。上座下座も然り、この王祇祭には陰陽や対(つい)になっているものが多いです。
そして大地踏の子たちは大人でも覚えられないような、すごく難しい詞章を、堂々と、大きな声で唱えるのです。連日のお稽古の賜物かもしれませんが、神懸かったように思え、感動を覚えます。動画を見せられないのがとても残念です。
是非、実際に見てもらいたいと思う理由の一つです。
大地踏が終わると、今度は式三番(しきさんば)。
春日神社での式三番は、大地踏と同じく上座下座の両座立ち合いで、所仏則(ところぶっそく)の翁と三番叟(さんばそう)です。
所仏則というのは、ここでのみ演じる、仏式の能という意味です。
能とは少し違うため、それより昔からあるものだといわれていて、どちらもこの王祇祭の時しか舞うことがありません。
所仏則の翁は、上座の翁太夫、釼持源三郎家の人が舞い、三番叟は、下座の清和政右衛門家の人が舞います。
どちらも代々、世襲されていくのだそうです。
そして、この時かける面(おもて)はどちらもご神体として扱われていて、この王祇祭でのみ使われます。
最初から面をつけて舞うのではなく、最初、面なしでひとしきり舞った後につけるのですが、その一連の流れに神々しさを感じます。
あ、若い衆が騒ぎ出してきました。
次にくる尋常事が近いため、またもや気合を出しているというのか…三番叟の最中でもお構いなしに大声で騒ぎ盛り上がります。
そして式三番が終わり、お祭りも佳境に差し掛かってきました。
神前の能舞台までの真ん中の板間エリアは、これからの尋常事に使うため観客は移動します。これから、ラストまで、尋常事が続きます。
まず、棚上り尋常です。
両座各2名の若者が、舞台の上方にある棚に上がり、王祇様を梁に乗せる早さを競うというもの。
神前に両座から選ばれた4名の若者が立ち、舞台には若い衆が待ち構えています。
そして、合図とともに、彼らは盃のお酒をぐいっと飲み干して、板間を走り抜け→棚にあがって→王祇様を梁に乗せて→座り込む。
本当にあっという間の出来事でした。今回は下座が勝った模様。
下座の盛り上がり方がすごかったです。
棚上がり尋常が終わり、でも棚の上の若者はずっとそのままです。
今度は、神前のエリアでは折守(おりもり)と呼ばれる、2日目の行事を取り仕切る人が
【小花、笹巻、くるみ、栗、干し柿、昆布、黒豆】をのせた小さなへぎ(お盆)のセットを作り始めました。
それは神前で当屋頭人が無事につとめを終えたことを祝う為の酒宴で”当渡しの式”があり、その時に神職、当屋頭人、王祇守、提灯持ちの方々に出されるもの。ちょうどその式が始まったようでした。
このあと、上座の頭人たちは下座の楽屋へ、下座の頭人たちは上座の楽屋に行き、能太夫らと盃を交わし、その労をねぎらうのだそう。
ちなみにこの時に配られる小花は王祇祭のために作られます。樒(しきみ)の花を形どった花びらは三色の和紙で作られていて、一本一本手作業で作られています。色は座によって違います。上座のものは内側から赤・白・紺、下座のものは赤・黄・紺と決まっていて、縁起物と言われていますが、誰でももらえるわけではないのだそうです。
さてだんだんですが、舞台の上にたくさん若い衆が集まってきて、うぉーっと気勢を上げています。ようやく王祇祭のクライマックスが近づいてきました。
布剥ぎと餅切り尋常です。
布剥ぎとは、掛けられている王祇様を下におろし、巻いてある白布を剥いで、来年の王祇守に巻きつけるもの。
王祇守に巻かれた白布は、染められ、来年の当屋頭人がまとう素襖(すおう:武家装束のひとつ)が作られるそうです。
餅切り尋常とは、舞台の上には、先ほどの若い衆が2人乗ったままの棚があり、その棚よりも上の方に餅がつるされてあり、それを叩き落とすこと。
この餅は一斗餅で、約15キロもあります。それを毎年決まった家で作り、神社の梁に縄で特別に結わえてありますので、なかなか簡単には落とせません。ちなみに落とされた餅は当屋に運ばれ、小さく切り分けて御護符として氏子に配るそうです。
さて、舞台では若い衆が今か今かと待ちわびています。
私もいつ始まるのかとカメラを構えて、じっと待つと、小花が投げられるとともにそれが合図で始まりました。
これもまた、あっという間の出来事でした…。
若い衆の気勢、観客の声援、場の熱気が最高潮でした。
先ほどの一瞬で王祇様をおろし、布剥ぎ、餅切りが一気に行われたことになります。これが終わるとともに挨拶があるわけでもなく、今年の王祇祭が終わりを迎えました。
本当はこの後も、受当屋(来年の当屋)では、祝宴があったりするのですが、さすがに2日間、ろくに睡眠もとらずだったため、疲れ果ててまっすぐ帰宅。本当に黒川の皆さんのスタミナがすごい!と感心してしまいます。お祭りってすごいなー。
****************
最後に・・・ 2年取材して思ったことをまとめます。
昨年も思ったことですが、今年で2度見ましたが、だからと言って王祇祭や黒川能がわかる!とは自信をもって言えないほど、どこまでも奥深いものでした。
上座・下座それぞれでしていることも違ったりするし、そもそも神道や歴史、能楽をちゃんと知らないと??ってなることも多い。なんで7回も同じことをするの?と思ったり、あれ?もしかしてこれも対になってる?と思ったり…。知れば知るほど、わからないことも多くなって、もっとちゃんと知りたい気持ちが出てきます。2年目でもこうでした。全部とは言わなくても、ある程度分かるようになるまで何年もかかるのがわかります。
同じ鶴岡市でも少し離れた温海地域出身の私には、櫛引の事も、黒川能の事も、少し認識があるくらいのものでした。
それが一昨年、櫛引の今の職場で働き始め、地域の事を学んでいる時、黒川能の本なども読み始めました。王祇祭という、一年に一度の大きな行事があると聞き、それなら参加してレポートを書こう!と王祇祭に参加することにしました。それが去年の事。
初めての王祇祭は、いろいろと刺激的でした。
神事、黒川能、行事や村の人々・・・次から次へと目まぐるしく過ぎて行き、うとうとしてタイムスリップしたような気持ちになり、常に湧いて出る疑問もなかなか解答を得られないまま、あっという間2日が終わってしまっていました。
終わってからが本当に大変でした。見てきたことと情報を重ね合わせ、調べまくり、いろんな人に質問して…。なので、去年のレポートは、初心者が書いたにしては詳しいことも書いてあると思います。
そして、今年は去年の経験上、ちょっとは知識を持ったうえで、去年には書けなかったものを追加してのレポート。それでも、伝えたいこと、知ってもらいたいことが皆様に伝わるようにかけているのか、わかりません。(こんなに長いのに…)
でも、この王祇祭レポートは、王祇祭を初めて見た私が、見たことのない人にもわかるように書こうとしたもの。初めて見る人には王祇祭がどう進むか、何が起きているのかなど、詳しいことがわからないことも多いのです。なので、順序だてて書いた方がわかってもらえるのでは?と思いました。
でもやっぱりいろいろ書いても、実際に見てもらって、経験してもらった方が一番なのだと思います。
最初はわからないことだらけでもいいじゃないですか。だってそれは今までの自分になかったものだと思うから。私はそう思うのです。
そして、このレポートが興味を持ってくれた人の役に立てばうれしいなと思います。
この一年、黒川能のイベント等にも関わり、黒川の人と交流をして、お話をたくさん聞かせてもらったおかげで、たくさんの学びと経験を得ました。この場を借りて、皆様に感謝申し上げます。
そしてこの長い長いレポートを最後まで読んでくださった皆様にも。
今年出会えた人も、来年には参加してみたい人も、皆さんとまた王祇祭で出会えることを祈って。
文・写真 櫛引地域産業振興プロジェクト推進協議会 馬場 合