【2年目の王祇祭レポート】~前編
毎年2月1日と2日は、黒川地区にある春日神社の旧例祭で、別名【王祇祭:おうぎさい】と言われています。
春日神社の神霊が宿る王祇様を、その年の当屋(神宿ともいう。最年長の氏子の家)の家にお迎えし、夜を徹しての能の奉納でもてなすというもの。500年以上前から途切れることなく続いているお祭りです。
様々な神事はもちろん、氏子の皆さんによって、大切に伝えられている民俗芸能、黒川能の奉仕もあるなど、王祇祭は黒川地区の人々にとって最も重要なお祭りです。
昨年、初めて王祇祭に参加しました。たくさんの神事、夜通しの能の演能の最中、ついうとうとしてきた頃、タイムスリップ感にも似た感じがし、歴史の中にいるような不思議な気持ちになったのがとても印象に残りました。
・・・・それから1年、今年も昨年に引き続き2度目の王祇祭に参加しました!
初めての年には見えなかったことも合わせ、2年目の私の視点で見た、王祇祭の様子をレポートします!
今回もなるべくわかりやすく説明をつけていく予定です。よろしくお願いいたします。
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王祇祭は1か月前くらいから始まります。
1月3日に興業(こぎょう)という始まりの儀式があって、当日の能の演目が発表され、稽古が始まり、祭りに関わる人々は精進潔斎をするのだそうです。地域の皆さんも様々な準備に加わり、当日を迎えます。
ちなみに先ほども触れた、当屋の方々は、前年の王祇祭が終わったころから1年かけてこの王祇祭の為の準備をしているのだそうです。
黒川地区は地域ごとに上座と下座の2つの神事などを行うグループに分かれていて、当屋も上座、下座にそれぞれあり、黒川能も同様です。
それぞれの当屋の主人を、当屋頭人(とうにん)と言い、神様をお迎えするという立場で、この時だけの国司号(*江戸時代の大名の役職名) が与えられます。
今年の当屋頭人は
上座:椿出 秋山嵩義さん(屋号:与四吉)【尾張守】
下座:成沢 釼持正夫さん(屋号:善太郎)【和泉守】
です。
今年、上座当屋の秋山さんから当屋案内の書状を頂きました。
今年の王祇祭は土日だから、当日はすぐにご案内できないかも…との事で、前もって奉納に伺っていましたが、王祇祭当日、友達が脇当屋(脇宿ともいう:喪中の人や一般の人向けの奉納に伺うところ)に行くと言う事で、一緒に行ってきました。
朝9時頃に伺ったため、早かったようで準備真っ最中でした。
お座敷はこれから来るお客様のための席ができていて、結構すぐお膳がでてきました。
事前に奉納に伺ったときと違うお膳でした。今日のメインは「当屋豆腐」です!
当屋豆腐というのは、1月の中旬に集落の皆さん総出で焼き、凍らせて作った凍み豆腐。
この王祇祭のため上座・下座で各5千本焼くんだそう。王祇祭は別名「豆腐まつり」と言われる所以でもあります。
そこにお箸大の長さのゴボウがついていて、たれをかけて食べます。
そのほか、赤こごみ、くるみ、青豆、味噌を細かく刻んだ「切り和え」も。
去年食べられなかったのでようやく食べることができました。
当屋豆腐も、切り和えも、上座下座で味付けが違うらしいですよ。
友達は車なので飲めなかったのですが、私はこの日は飲めるってことで、憧れの樽酒を飲むことに!
杉の香りをまとった熱燗は、美味しかった!でもこの後、少々後悔することになります…。もてなしの方々にお酒をどんどん勧められ、いろんなお話をしているうちにお暇する頃には結構酔ってしまっていました…。ホント、みなさんお酒が強い! 朝からだったので、しばらく休んで、夕方からの演能に備えないといけませんでした。
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さて、お休みの後には、王祇会館に向かいました。
こちらには、黒川能保存会を通して当屋での観能申し込みをした、一般のお客様が集まります。
受付をして、お神酒を頂き、当屋豆腐がでてきました!
ちなみに、こちらでは上座・下座のどちらも食べることができます。
◎上座(写真左) 熱々のしみ豆腐に岩のりと山椒が効いたタレを付けて食べる。
◎下座(写真右) 醤油ベースに山椒が効いた熱々の汁に凍み豆腐を入れて食べる。
どちらにもゴボウがついています。当屋とは違ってゴボウは短め。
味の食べ比べができてとても良いんです!
皆さんが集まった頃、ホールで当屋での観能の諸注意等聞きます。
ここで参加者の皆さんは上座グループ・下座グループに分かれて、徒歩で当屋に向かうことになります。
去年私は上座に行ったので、今年は下座に行くことになりました。
下座の当屋は王祇会館からちょっと遠めなので、ちょっと大変ですが、今年は雪も積もっておらず、普通のスピードで歩いて行けました。
当屋の事を、ちょっとお話しますね。
昔から当屋は自宅で行っていましたが、ふすまを外して座敷を広げるような昔からの日本家屋の作りのお宅は少なくなってきたというのもあるため、近年では自宅を当屋にしないで、公民館ですることが多いそうです。昨年もそうでしたが、両座とも公民館での当屋だそうです。
朝私が伺った脇当屋(脇宿)ですが、近所の親戚の家がその役を引き受けるところ、王祇祭当日は当屋の自宅が脇当屋になっているようでした。
さて、下座の当屋に到着して、案内された場所に座り(一般の人はここなどと座るエリアが決められている)、ようやく周りを見わたします。
能舞台の四方の一角に王祇様が立てかけられていて、その隣には当屋頭人、王祇守、提灯持ちと並んで座っているようでした。
上座と違うのは、王祇様の置き方。上座では王祇様を横にして吊るしていたのですが、こちらでは縦にして置いてありました。これも上座・下座の違いですね。
****ここで氏子の方々の王祇祭当日の流れを少し説明します。
朝未明の暗いうちに春日神社にお迎えに向かうところから始まります。ご神体を移した依代である2体の王祇様を春日神社から上座・下座の両当屋にお迎えします。
王祇様は長さ2.5mほどの3本の杉の鉾を紐で連ね、頭には紙垂(しで)と呼ばれる紙が巻かれています。当屋に到着して布着せが行われます。 全体的に扇形に広げて、そこに白い麻布を張ります。 大地踏の時だけ広げ、通常王祇様は閉じられています。広げると扇みたいになることから、王祇様の名前の由来になったと言われています。(諸説あり)
それから座狩(それぞれの家の家長が集まり、総点呼)、当乞い(来年の当屋を確認する儀式)、酒宴・ふるまいなどがあり、そして夕方いよいよ始まる頃には当屋にたくさんの人が集まってきます。
・・・・はい。ここから私たち一般の人が参加します。
演能が始まる前なのですが、舞台には役者の方々が王祇様に向けて拝礼しています。
正座して扇子を開いて2拝2拍手1拝。
扇子を開いて拝礼するのは、ここ黒川でしか見たことがないのですが、おうぎ(扇)=王祇様に向かってだからなのでしょうか?
その姿に、一連の流れに、目を奪われます。
しばらくたつと、舞台の周りに蝋燭がともされ、小さい子が肩に抱えられて舞台に登場しました。
さぁ、これが大地踏の始まりであり、これから朝方まで演能が続く長い夜の始まりです。
大地踏は5・6歳前後の男児が上座・下座で2名づつ選ばれ、当屋と神社で演じます。
お正月過ぎから稽古が始まり、師匠から毎日稽古をつけてもらい、本番を迎えます。
舞台中央で扇形に開いた王祇様の元で、幼児が扇を肩に担ぎながら、足拍子を踏んで大地を踏みしめ悪霊を鎮めるなどの所作で新年の安穏と繁栄を祈るもの。
物語性はなく、郷土に因んだ祝言的な謡(うたい:能楽の声楽部分)もあり、大人でも難しく、大変な役だと思います。だからこそ、終わったときには大きな拍手が惜しみなく送られるのです。
その次は式三番(しきさんば)です。
一日の能の最初にあるもので、露払い役の千歳(せんざい)、天下泰平と国家安全を祈念し、演能の場を清める翁(おきな)、五穀豊穣を祈る三番叟(さんばそう)があります。
厳密にいうと、能よりも古い様式を持つものだそうです。
そしてこの時上座では、“所仏則(ところぶっそく)の翁”という王祇祭のときだけしか演じられない、特別な翁が舞われるのですが、下座は通常の翁「公儀の翁」が舞われるのです。
下座では三番叟が所仏則なのだそう。上座の翁の面(白式尉)と下座の三番叟の面(黒式尉)はご神体として扱われています。
そして、大地踏と式三番は、翌日の春日神社でも両座立会いの下、奉納されるのです。
その様子は2日目でお伝えすることにして…。
さて、式三番が終わると、これから朝まで神様の為の夜通しの演能が続きます。
番組編成は、能→狂言→能→狂言といった順番で、能五番、狂言四番が演じられます。
今年の下座の番組表はこちら。
最初の能は、神様をシテ(主役)とした『高砂』が始まりました。
相生(あいおい)の松に寄せて夫婦愛と長寿を愛で、人生を言祝ぐ大変めでたい能の作品
一般的な能の構成は、前半後半に分かれているそうです。
前半終了後、舞台に進み出てきた人がいて、王祇様に拝礼し、その後、当屋頭人に向かって
「和泉様お使いに行ってまいります」「皆様、お使いに行ってまいります」とご挨拶。
これが【暁の使い】です。
下座の使者が上座当屋に出向き、祭りの順調な進行を喜び、明日も過怠のないようにと、口上を述べるものです。
その後、また『高砂』後半があり、終わると中入(なかいり:休憩)が入りました。
舞台にお膳が並び、役者や関係者の皆さんの夕食が始まりました。
お膳はやはり、当屋豆腐!あとはお酒ですね。
私たち一般の人たちにも、当屋豆腐が配られたり、お酒を振る舞われたりしながら、それぞれ持ってきたお弁当を食べました。この中入が結構時間があったので、トイレに行ったりして少しゆっくりしました。
中入が終わり、次は狂言『三本柱』
・果報者が三人の召使いを呼んで、自宅の新築のために3本の木を山から運んでおろすよう命じる。条件が3本の木を3人が一人2本ずつもって戻る」というもの。
写真を見ていただけると、どうやったかわかりますね!
狂言は能と違い、謡ではなく台詞で、室町時代から江戸時代にかけての日常語「~でござる」などと話すので、全然わからないこともない。能は悲劇的なものが多いけど、狂言は喜劇的なもので、話が分かるととても面白いのです。
狂言『千鳥』が終わったころ、「暁の使い」が上座より戻ってきて、皆様に挨拶。
その後、能「東北」が始まったころにはもう0時を回っていて、この頃にはあれだけいた人も、少しずついなくなっていて、ようやくゆったり座れるようになってきていました。そして私もだんだんウトウトし始めてきました。ここから睡魔との戦いがしばらく続きます。
狂言『節分』が始まりました。
去年上座でも見たので、話はだいたい覚えていますが、やはりちょっと違いました。下座のは結構早めに終り、豆を投げつけられ、意表をつかれ睡魔は少し飛びましたね…。
時計は2:00を示す頃、周りをぐるっと見てみたのですが、結構人が残っているのでビックリでした。昨年はこの頃になると、結構人はまばらで後ろの方には眠りこけている人も多かったのに。
やはり今回の王祇祭が土日だったこともあるかもしれませんが、この番組が見たくて…という方も多かったようです。
次の能『鐘巻』は、今年の上座の番組の一つである『道成寺』の原曲とされている古い能だそう。
あらすじは同じなんですが、演出などが違うとのこと。
去年の夏に<水焔の能>で、『道成寺』を観たのですが、私には『鐘巻』と正直あまり違いがわかりませんでした…。あとで説明や違いを聞いて知るという…。まだまだ観能初心者ですね。
これを踏まえたうえで、もう一度どちらの番組も見たいなと感じました。
次は狂言『三十日囃子』です。
なんと40年ぶりにやる演目なんだそうで、皆さん楽しみに待っていたようでした。
劇中に、黒川流という名称が出るなど、黒川独自の一番なのでしょう。
役者さんたちの芝居が面白かったのもありますが、一番笑っている人が多かったと思います。
最後の能『弓八幡』が終わり、夜通しの演能はようやく終わりました。
当屋を出る頃はもう4時50分頃でした…。
途中、強烈な睡魔に襲われながらも、どうにか全部見ることができました。
一般の人達はここで終り。まだまだ暗い夜道を王祇会館まで戻ります。
もちろん、氏子の人達はこれで終わるわけではなく、これから朝ご飯を食べ、少し休憩してから今度は王祇様を担いで、神社の下にある榊屋敷に移動するのです。みなさん、本当にすごい!
大変長くなりましたが、これが当屋で演能の様子でした。
続きはまた次回。
文・写真 / 櫛引地域産業振興プロジェクト推進協議会 馬場 合