【初めての王祇祭レポート】 2日目
王祇祭前半に続き、後半のお話です。
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早朝5時に能の奉納が終わり、私ら観客が休憩所に戻った後も、王祇祭は続いていました。
休憩のあと、王祇様が神社に帰ることになります。
朝まで能を奉仕した人たちは朝ご飯を食べて、下座は松明を先頭に行列をつくって神社に向かい、
神社の下にある神職の遠藤重左衛門家(榊屋敷)に立ち寄ります。
そして奥座敷に王祇様が安置され、大地踏が行われます。
そこへ上座が到着し、鳥居の向かいにある榊屋敷の敷地、”遊(あそび)の庭”で待機。そこから七度半の使いを出します。
昨晩上座の当屋に下座の暁の使いが来ましたが、今度は上座から下座に使いを出すのです。
使者は玄関へ来て口上を伝えます。昨晩の暁の使いの礼を述べて、そろそろ宮のぼりの時間なので、早くきてくださいという旨を7度半繰り返します。
“半”というのは最後の口上は「お早うおのぼりくだされませいと申し越します」というところを途中で「お早うおのぼりっ」と言い捨てて出てくるからだそうです。
このあと”遊の庭”で下座の王祇様を待ち、合流しともに神社へ上り、朝尋常になります。
・・・・残念ながら、私はこの神事を見ることができず、写真もありません…。来年は是非!
さて、朝尋常が始まる頃だということで、朝ご飯を食べてから王祇会館を出て、春日神社に向かいました。
神社前の参道の周りにはもうすでにたくさんの人が。両脇にはロープが張られていて、ロープより内側には氏子の上座下座の若い衆が円陣組んで気合を入れている。外側には私たちみたいな一般の見物人たち。
朝尋常は、神社に帰ってくる王祇様を、上座・下座の若い衆が早く社殿に戻そうと競うものです。″尋常”とは、競争の事で、王祇祭では上座・下座で競争するそうです。
若い衆から「危ねさげ、ロープよりもう少し下がって」と言われました。そんなに危ない事になるのか?と少し不安になりましたが、事は急にはじまりました。参道の階段から声がし始めたな…と思ったら、にわかにまわりがざわっとして、私のすぐ目の前を王祇様を脇に抱えた若い衆がすごい勢いで駆け抜けて行きました。
あまりに急に始まったのでビックリしたとともに、あっという間に終わりました。彼らは圧雪された両隣の道を通り、王祇様を神社の両端にある小窓?に入れて、社殿内の王祇柱に先に立てかけることができたら勝ちというものだそうです。
しかしどっちが勝ったのかわからない両座の盛り上がり方でしたね…。今日はこれ以外に尋常事が何回かあるとのこと。
朝尋常が終わってからは、春日神社で受付をして、拝殿に入ります。どうにか正面近くの場所に座ることができました。
春日神社には能舞台がありまして、舞台の上には、能役者の肖像画がずらり。とても荘厳な雰囲気です。
舞台正面向かって左手が上座で、右手が下座の陣地です。先ほどの王祇様も舞台奥の柱に立てかけられていて、その横には両座の当屋頭人が座っています。
春日神社の能舞台の周りには袴姿の人達が座っています。一人一人の前には提灯が置かれてあります。彼らはめぐりの長人衆(おとなじゅう)と呼ばれていて、いずれ当屋をつとめることになる人たちだそうで、
我が家に王祇様を迎える日が来るまで先輩の晴れの舞台を見守るのだそうです。
そして式典が始まり、次に上座・下座が昨晩当屋で奉納した脇能を披露しました。
上座「絵馬」 下座「高砂」
その後、両座立会いのもと、大地踏が始まりました。この頃になると神社の中は人がたくさん。昨晩当屋で舞った子と違う子が舞いますが、上座・下座交互に舞うようでした。
前日の大地踏は、かなり遠いところで見ていたので、細かいところが実は見えてなかったのですが、あれ?なんか違うなと思いました。上座下座で舞も詞も違うようでしたし、どうやら身に付けている装束も上座は男装、下座は女装となっているようでした。
本当にすごい!と思ったのは、私でもわからない詞をすらすらと唱えているのは練習のたまものなのかもしれませんが、良く考えると、彼らはまだひらがなもまだおぼつかない保育園の年中さんですよ!私には神懸かってみえました!
大地踏が終わると、今度は式三番(しきさんば)。
春日神社での式三番は、大地踏と同じく上座下座の共演で、所仏則の翁と三番叟(さんばそう)でした。
所仏則(ところぶっそく)というのは、ここでのみ演じる、仏式の能という意味で言うらしいです。
能のスタイルとは違うため、それより昔からあるものだといわれていて、どちらもこの王祇祭の時しか舞うことがありません。
この時の面はどちらもご神体として扱われていて、この王祇祭のみ使われます。
最初から面をつけて舞うのではなく、最初、面なしでひとしきり舞った後に面をつけるのですが、一連の流れに目が離せない緊張感と言うか、神々しさがあるように感じました。
所仏則の翁は、上座の翁太夫、釼持源三郎家に一子相伝で伝わるもので、その家のものしか舞うことを許されないといいます。昨晩は息子さんでしたが、春日神社ではお父様の方だったようでした。
下座の三番叟は、初めて見ましたが、昨晩みた上座の三番叟とはまたちょっと感じが違いました。
うまくは言えないのですが…。
三番叟の動きは激しく、面をつける頃には、全身で息をしているような息遣いを感じました。
“静”の翁と、”動”の三番叟という感じでした。上座下座も然り、この王祇祭には陰陽や対(つい)になっているものが多い気がします。
だんだん若い衆が騒ぎ出してきました。次はまた尋常事だからかもしれませんが、三番叟の途中でもお構いなしってのがいかにも祭らしい…。
そして式三番が終わり、お祭りも佳境に差し掛かってきました。
棚上がり尋常です。
ここからラストまで尋常事が続きます。
両座各2名の若者が、舞台の上方にある棚に上がり、王祇様を梁に乗せる早さを競うというもの。
神前に4名の若者が立ち、舞台には若い衆が待ち構えていました。そして、合図があったのか、彼らは盃のお酒をぐいっと飲み干して、板間を走り抜け→棚にあがって→王祇様を梁に乗せて→座り込む。
本当にあっという間の出来事でした。動画撮ったのですが、追いかけるのが大変でした・・・。
棚上がり尋常が終わり、でも棚の上の若者はずっとそのままです。
プログラムには、これから王祇おろし、餅切り、布剥ぎ・・・と書いてあります。
でも、すぐには始まらない雰囲気…。何か神事とか儀式をやってるような感じなのですが、よくわからず。
どうもこの時は、神職、頭人王祇守、提灯持ちが席につき、神前で当屋頭人が無事につとめを終えたことを祝う為の酒宴で”当渡しの式”をしていたそうです。
このあと、上座の頭人たちは下座の楽屋へ、下座の頭人たちは上座の楽屋に行き、能太夫らと盃を交わし、その労をねぎらうのだそう。
そんな時私は今なにが行われているのか、結構近くにいてもわからない。
会場は結構ガヤガヤしてるのもあって、そういう”間”のある時間が結構あったので、周りのお客さんは県外からの人も多く、お話したり交流も楽しかったです。
そうこうしている間に、なんとなく何かが始まりそうな感じがしてきました。
舞台の上にたくさん人が集まってきていて、うぉーっと気勢を上げています。
ようやく祭のクライマックスが近づいてきました。
いつ始まるのかとカメラを構えて、じっと待つと、小花が投げられるとともにそれが合図で始まりました。これもまた、あっという間の出来事でした…。
棚に上がった若者の一人が王祇様をおろし、それを受け取った人が、神前にダッシュし、王祇様に巻かれた白布を剥いで、来年の王祇守に巻きつける。もう一人の若者は棚の上の梁に結わえられて固定されている大きな丸い餅を下に落とす。王祇守に巻かれた白布は、染められ、来年の当屋頭人がまとう素襖(すおう:武家装束のひとつ)が作られるそうです。
先ほどの一瞬で王祇おろし、餅切り、布剥ぎが一気に行われたことになります。
いやーしかし、もう周りの熱量がすごい!
わー 早く! がんばれ!などと声が飛び交い、終わっても余韻はしばらく残ってる感じでした。
これで王祇祭は終わりを迎えます。
帰りには、神前に飾られていた小花をいただきました。
小花は串花とも呼ばれ、350本用意されます。樒(しきみ)の花を形どった花びらは三色の和紙で作られていて、一本一本手作業で作られています。
上座のものは内側から赤・白・紺、下座のものは赤・黄・紺と決まっているそうです。 私がいただいたのは下座の小花でした。縁起物だというので、大切に飾りたいと思います。
ここで今年の王祇祭の神事は終わったのですが、私はそのまま家には帰らずに、今度は受当屋(うけとうや)にお邪魔しました。
王祇祭1日目、当乞い(とうごい:来年の当屋を確認する儀式)をして、正式に来年の当屋と決まった家を受当屋と言います。
その家では、2月2日から4日まで、祝いの宴があり、駆けつけてくれた人々をもてなすのです。上座の受当屋、秋山与四吉さんから招待をいただいたので、ありがたいことに行くことができました。
もう中は結構人がいて、とてもにぎやかな状態でした。受付を済ませ、お膳が出され、お酒をお勧めされましたが、これから車で帰るので、泣く泣くお断りをすることに…。
そのかわり甘酒をいただいたのですが、これがまたおいしい!
お酒が飲めないという残念が気持ちが吹っ飛ぶほどのおいしさでした!
しばらくしたらなにか謡が聞こえてきました。前の方を見ると、首に白布を巻かれた男性がいました。
あれが先ほどの王祇様の布剥ぎして、来年の王祇守に巻かれるというものでした。カメラでは餅切などの舞台上を撮っていたので、そちらの状況は見ていなかったのですが、なるほどこんな感じになったのですね…。
これが王祇布受けの儀みたいでした。
そのあとは、上座の能役者さんたちもいらっしゃっての宴会が続き、興に乗ったのか、狂言が始まり、それが昨日も演じられた「節分」だったので、話が分かる+たまに現代語でのセリフありで、とても楽しかったです。
本当に目いっぱい楽しんで、帰路につきました。
今年の王祇祭は終わりましたが、もうすでに来年の王祇祭に向けて動き出しているのです。
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最後に私のまとめの感想を述べさせていただきます。
王祇祭や黒川能もですが、あっさりまとめられるほど、簡単なものではないのです。どれだけ頑張っても全部を知るには何年も何十年もかかるかもしれない。
私はちゃんと行事、神事のいわれなど調べるたびに、どんどん知りたくなって、今回実際観て、体験できたことが何よりでした。歴史の流れの一部を感じているそんな気持ちになりました。
それでも全部は見ていないし、なんで?ってなる事も多く、次はもっとここを知りたいと、はまるほどの魅力がありました。
王祇祭は黒川能だけじゃない、全部ひっくるめて地域のお祭り。
黒川の人々が、何百年もずっと親から子へ何代も、何十代も守り続けてきた大切なお祭り。
隣の家の人の顔も知らないという人も多く、地域の中の絆が薄れてきている世の中、ここ黒川地区は地域の絆が本当に強く、これからもずっと続くであろうこの行事を、もっとたくさんの人に知ってもらいたいと思うのです。
もしかしたら、ただ何も知らないで見るのはつまらなく感じてしまうかもしれない。
それだけでもういいかってなるのは、すごく残念だし、そうなってほしくはない。
だってそれだけの素晴らしい魅力が、王祇祭にはあると思うのです。
この長い記事を最後まで読んでくれている人なら、わかってもらえると信じています。
また来年、王祇祭でたくさんの皆さんに会えることを祈って。
文・写真 櫛引地域産業振興プロジェクト推進協議会 馬場 合